
2025/12/17 05:25
足し算の問題で、答え合わせをする。
引き算でも答え合わせをする。
計算の場合、誰が採点をしても同じ結果になります。(ただし、採点者が間違っていない場合)
1足す1の答えに2と書けば正解。
2引く1に1と書けば正解。
正解かどうかに、採点者の好みは反映されません。
では、スポーツでもそうでしょうか。
指導者の好き嫌いで選手の評価が左右されていないか。
足し算の問題等で採点が間違っている場合、先生に言いに行くでしょう。
「ここの答え、正しいと思うのですが」
採点間違いを指摘された先生は、間違いを修正して点数を変更するはずです。
これが当たり前ですよね。
「先生の間違いを指摘すると嫌がらせをされるから、本来の点数よりも低くても泣き寝入りしよう」
こう言う大人はいるでしょうか。
普通ならいませんよね。
ですが、運動部の指導者なら言うかもしれない。
正しさよりも指導者の好き嫌いが優先されるのは正常ですか。
異常ですよね。
1足す1は2と書いたのに、指導者に好かれていないから間違いにされる。
1足す1は3と書いたのに、指導者の同級生の子だから正解扱い。
算数で考えると、まともではありませんよね。
ですが、運動で考えると当たり前なのでしょう。
このようなことが続くと、運動を真面目にする人は減るでしょうね。
計算間違いをしている人が「正解にしろ」と言うのはおかしいですが、答えと途中の計算等が正しい子が「正解にして欲しい」と言うのは正常でしょう。
正常であることが困難な環境では、歪む子が出るでしょうね。
その代表例がセンセイでしょう。(もともと、歪んでいた可能性がありますが)
採点や評価というものは、誰が行っても同じ結果になるのが自然です。(計算問題を想像すると良い)
もし、採点者によって評価が変わるのが当たり前だと言うのならば、その世界は劣っているのでしょう。
異常な状態を放置しても問題無いのは、それに価値が無いということですからね。
腐った環境を放置しながら、スポーツの良さを語っても説得力がありません。
素晴らしいと思っているものをゴミの中に埋もれさせますか。
それが答えでしょう。
正常な状態や異常な状態に興味があるなら「紙幣が詰まった笛は鳴らない」がおすすめです。
指導者もスポーツに価値は無いと思っている。
だから、教え子が命を落としても何も気にしない。
奴隷商人が人権を語るようなものですよね。
つまらない冗談。
比較的駄目な部分が少ないなら、改善するでしょう。
ですが、手遅れの場合、改善するのを諦めるでしょうね。(間違いを指摘しようとする子を、周りの大人が止めるでしょう。指導者から選手を守るため)
指導者の間違いを指摘した選手が安全に生活出来るか。
その答えが、その競技の価値になる。
指導者の好き嫌いで評価が変わるのは正常だと思いますか。
採点者の好みで、足し算の答えが変わるのは当たり前でしょうか。
答えを共有するほどの価値が無いから、指導者の好き嫌いで結果が左右され続ける。
指導者の脳みそは正常に機能しているのか。
どう思いますか。
答えだけでなく、途中の計算式も間違っている指導者を正解として扱い続ける周りの大人も異常だと思いますよ。
今日紹介した記事。